2009年9月、23年間のサラリーマン広報を卒業し、新橋に飲み屋『焼酎楽隠れ家 陽』(http://yo-desu.com/ を開店して1カ月半。数年経ったのではと感じるほどにあっという間の女将職。
『夢は実現するもの』なんて大それたお題で始めていますが、がむしゃらでもなく、それだけをめざしていたのではありません。ここでは、夢の実現まで、開店=女将=経営者までと後の裏話、広報だからできる女将職、女将の毎日などつづっていきたいと思います。
このブログを書き始めるという機会に「なんで飲み屋の女将を夢見たか?」について自分に気合・喝を入れるためにも振り返ってみたいと思います。
大学卒業後、リース会社国際営業部に入社。時代はバブル時代真っ盛り。営業部事務に飽きてしまい、まだ会社にはなかった女性の総合職の創設を会社に嘆願し、やっとの思いで女性総合職第一号に。鼻息荒く夜中まで働き、接待、会社飲みの毎日を楽しんでいました。新入社員が入り、部下を持ち、一段と張り合いがでて頑張っていたある日。
男性新入社員が「どんなに僕の考えを分かろうとしても、所詮女性は同じお手洗いには並べないから 本音はわからないですよ。本音はお手洗いで話すから」と一言。冗談のように聞こえますが、私には、「根本的に男女の垣根はなくせない」ということを痛感させられた言葉でした。そしてこれは、「男女の垣根をなくすこと」「女性の生き方」について考え始めたきっかけになった言葉でもありました。そう、この言葉だったんですよね。。。
自分自身を出せる環境をと考え、外資系を選択(勝手な推察です)、モトローラという会社に転職。 毎日が楽しく、週4、5日男性の中で女性1人といったメンバーで飲み歩き、会社のこと、プライベートのこと、ばからしいことを話し、泣いて、笑っていました。
その時に、飲むという空間は一日をリセットでき、そして男女の垣根をなくすのでは、と感じ、「自分もいつかこんな空間を創りたい!」と思ったことが夢の始まりでした。
え!こんな些細なこと?と思わるかもしれませんね。夢のきっかけ=大きな出来事 ばかりではないです。それを'夢'と思うこと、'思い続けること'が大事なのではと思います。
頭に昔のことが津波のように思い出されて、懐かしく、かつ気合が入ってきました!
今日は自分の第二のお城でもあるお店の拭き掃除、ワックスがけなど大掃除をしてスッキリ。お城も喜んでくれていたような気がします。
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